International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『沖縄の風水史・5』 渡邊欣雄


■写真3

四方を山に囲まれ曲がった道路が縦2本、全面に弧を描く平たい山の手描きの絵

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 沖縄の風水書に描かれた絵で、どのように村を作ったらいいかという一種のプランです。ここに出てくる青龍山、白虎山、祖山というように、山の囲みの中に村を作るということです。左=青龍、右=白虎、必ず山があるということが重要です。後ろに玄武という山、そして、祖山という小高い山があれば良く、それを背にして、手前に案山。案=机という意味ですので、机のような形をした山がここにあるべきだというのが、風水の理屈です。

このように風水は、まず環境を作っていかなければいけません。しかし、沖縄は山が少なく、沖縄本島南部や宮古島にはほとんどありません。その場合どうしたかというと、山の代わりに全て松を、琉球松を植林していました。今、松が残っている村はわずかですが、掘り返すと植えた形跡、遺構が残っています。よく海岸の近くにあって、防風林に見立ててしまうのですが、これは風水上、懸命に植林したもので、各村々に残っているわけです。図に眠弓玉帯とありますが、村の道路の作り方は、道路や川を曲げることです。碁盤の目のような村だと言いますが、玉帯と書いてあるようにお腹に閉めるバンドのように、道後が曲っているわけです。また、九曲路は、直線的な道路で村を作らず、意図的に若干道を曲げている形跡があります。このような形が風水上良いのです。当時の茅葺の屋根も描かれています。八重山博物館ほか、いくつかの博物館に残っています。

■写真4 

図1をモデルにした実際の村・沖縄北部

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 小さな沖積平野が沖縄にはたくさんありますから、そこに村を作ります。上空から見ても、大方碁盤の目、規則的な道路になっていることがわかります。左右に青龍の山、白虎の山に見立ててあろうものです。また、手前の砂浜に松が生えているのではないかと思います。こういうものが18世紀当時から作り始めた、計画的なコミュニティ・プランだったのです。

■写真5 

沖縄南部の村

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これは沖縄県南部、飛行機が糸満空港に着陸する直前に撮ったものです。糸満市にある村だと思います。沖縄は南部になると山がなく、どこもかしこも平野になります。ただ、ここは、図面どおりに木で囲んで村を作っています。村と言ってもずいぶん大きい村ですが。本当は、案山=木が植わっていたら、完全に盆地状の集落になります。

■写真6 

上空から見た道路

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 これは石垣島空港着陸直前に撮った写真です。この村も18世紀頃、碁盤目状に変えています。上空から見ると、道路は真っ直ぐではなく、右側に向けて若干曲っているように見えます。しかしここを歩いていると、見通しがきくほどではありませんが、真っ直ぐに見えてしまいます。

■写真7

ヤブ村の石碑

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沖縄北部の屋部(やぶ)という村にある石碑です。「我が村の風水嘉例良し(かれよし)、内外も揃てナントカカントカ…」と書いてある。嘉例良しというのは非常にめでたいということです。碑には、いかにこの村が美しいか、山水がきれいか、という歌が書かれています。この碑は1960年4月に作られたものですが、屋部という村も碁盤目状で風水によって改造した村、今でも非常に緑豊かな村です。いかに風水で自分たちの村を美しくしたかということを語っています。このように沖縄というのは、日本本土の風水の感覚とは違うようです。

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