International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.6 吉田泰幸


Once in a Lifetime: フロリダで開催された巨大学会

 異国の地で1年を過ごすというのは一生に一度の機会かもしれない、と思って日々の生活を送っている訳ですが、アメリカはフロリダ州のウォルト・ディズニーワールドを訪れたというのも一生に一度のことになるかもしれません。

 ノリッチ空港からオランダ・アムステルダム、アムステルダムからアメリカ・デトロイト、さらに国内線でフロリダ州オーランドまで、途中、アメリカ入国審査よりも根掘り葉掘り様々質問されたアムステルダム空港でのデルタ航空への乗り継ぎ手続き等を経て、約17時間をかけてまでアメリカはフロリダ州にたどり着いたのですが、ディズニーワールド目的でかの地へ赴いたわけではありません。Society for American Archaeology (SAA)の81st Annual Meetingという学会に参加するためでした。

 SAAはアメリカ考古学会と言いながら、アメリカ人の考古学的調査は世界各国にわたっている、アメリカには世界各国から人々が集まることから、実際は毎回、世界各国から研究者が何千人も参加する巨大学会です。勢い、会場も巨大にならざるをえないのですが、今回はウォルト・ディズニーワールドに隣接する、というより、いくつかの広大なテーマパークの集合体であるディズニーワールドの中にあるホテルを会場として開催されました。

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 会場となったホテルに宿泊すれば楽だったのかもしれませんが、当然ながら非常に高額なのと、学会期間中はすでに満室で、会場からは離れたホテルに滞在しました。学会会場のホテルへは、宿泊先のホテルが提供するディズニーワールドのエプコットというテーマパークへと向かうシャトルバスに乗り、そこからディズニー・ハリウッドスタジオへのディズニーワールド提供のシャトルバスに乗り換え、たくさんの人で賑わうハリウッドスタジオの入口の前を通過して同じくディズニーが提供しているボート乗り場に向かいボートに乗り、会場ホテル前の船着場で降りてようやく到着です。ノリッチというコンパクトな街で、Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)に通うのも、買い物に行くにも、鉄道の駅、映画館やフットボールスタジアムに行くにも歩きで事足りる生活に慣れたためか、「なぜこんな目に遭わなければいけないのか」と思いながら一週間弱、学会会場に通いました。

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 そのSAAでは、China and Japanというセッションに入り、The Prehistoric Jomon and Ideological Conflict in Contemporary Japanと題して研究発表を行いました。英語圏の議論では、縄文時代研究を始めとする日本の考古学研究は日本のナショナル・アイデンティティやナショナリズムの形成に寄与しているとされ、そのあり方が批判的に検討されてきました。それは一面真実なのですが、研究発表では先行研究が指摘してきたナショナリズムの形成などのイデオロギーとは反対のイデオロギー、左派や反原発、環境保護活動にも「縄文」は組み込まれていることを示し、縄文と社会との関係のメカニズムをさらに幅広い視点から検討することを提唱しました。発表後にはアメリカ人研究者にコメントや質問を受け、決して流暢でない英語でこういう話が伝わるのか不安でしたが、少なくともネイティブスピーカーの研究者の何人かには興味を持ってもらえたようで、少し安心しました。

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 発表終了後は毎日入口の前を通過していただけのディズニー・ハリウッドスタジオにも、「これは観光人類学的フィールドワークである」と言い聞かせて内部へと潜入しました。東京ディズニーランドにも数えるほどしか行ったことがなく、何年かぶりに「ディズニー」に訪れたことになりました。ディズニーの象徴であるお城はマジック・キングダムと言ってこれまたハリウッドスタジオからはかなり離れた別のテーマパークにあり、ハリウッドスタジオの中はマジック・キングダムでは闊歩しているであろうネズミカップルや上半身だけしか服を着ていないアヒルの着ぐるみの代わりに、スターウォーズの最新作に登場するファースト・オーダーの兵隊たちが時々歩き回っていました。そこかしこにあるステージには毛むくじゃらのハリソン・フォードの相棒、ジェダイ候補生という設定の子供達とライト・セーバーを交える黒い悪そうな人達を見かけました。スターウォーズは「遠い昔、はるか彼方の銀河系」という設定のお話なのですが、当時の「最新」「特撮」が話題となって第1作=エピソード4が登場してから40年弱が経ち、その頃子供だった人たちがそのまた子供たちに伝える、現代のおとぎ話になったのだと実感しました。

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 一足先の常夏の青空とけばけばしい外装のホテルやプールに囲まれた日々からノリッチの空港に帰ってくると、案の定天気は雨で春にはまだ遠い風情でしたが、市内に向かうにつれてホッとしたのは、ノリッチの街にずいぶん慣れたからかもしれません。

  • 2016年05月10日(火) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.5 吉田泰幸


On the Corner: 改めてノリッチという街

 3月は日本からの来客が多い月でした。そうすると、今までSainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)のスタッフにノリッチの街のことを色々教えてもらっていた立場から、今度はこちらが案内する番になります。
 SISJACの近くで来客と落ち合うと、たいていの場合、まずはSISJACの隣にあるノリッチ大聖堂を案内することになります。この大聖堂の創建は11世紀末、ひときわ目を引く尖塔は英国第2位の高さだそうです。SISJACの中のArchaeology Roomで研究をしていると、大聖堂から鐘の音が聞こえてきます。また、この尖塔の先の方にはハヤブサが巣を作っているらしく、SISJACの建物のすぐ前には、春の訪れとともにそのハヤブサを望遠鏡でウォッチする団体が現れ、毎日望遠鏡を覗いています。私もその団体に声をかけた時に望遠鏡で巣を見せてもらいました。この団体は夏の終わりまで観察を続けるようです。

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 大聖堂のある区画はCloseという地名になっていて、街を案内するときはそこからエルム・ヒル(Elm Hill)という歴史ある建物が多く残されている地区に向かいます。その地区の道路はフリントによる石畳で、正直かなり歩きづらいのですが、古い建物を改装したカフェや個性的な店が並んでいて、雰囲気は素晴らしいです。
 エルム・ヒルから映画館に改装された教会建物などを見ながら、市役所の前の広場に出ると、そこからはマーケットのカラフルな屋根と、その先にノリッチ城を見ることができます。このマーケットは屋外マーケットとしては英国で屈指の規模を誇るらしく、ノリッチの空港で入国ゲートを抜けたホールでも、大きくアピールされています。マーケットはオーガニック食材を扱う店から花屋、魚屋、帽子屋、ミリタリー柄の服だけを扱う店など、多種多様なお店が軒を連ねています。アジア食材の店もあり、パクチーなどのこちらでは見慣れない香草や、日本を始めとする東・東南アジア各国の調味料やインスタント麺も豊富です。チップス屋も何件かあり、数ポンドと手軽です。かなり年配の方まで、チップス、つまりは揚げた芋に塩と酢を大量にふりかけただけで昼食にしているのを見て、もはやチップスはこの国の人たちにとって健康不健康を超えた何かなのだと実感しました。

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 マーケットの先に見えるノリッチ城は、今はCastle Museum、つまりは博物館になっています。展示を見ると、この四角い建物を中心とした城=街が出来ていった過程や、その後刑務所として利用されたこと、ノーフォーク地方の歴史について学ぶことができます。展示の復元によると、この城の周りにいくつかの堀が巡っており、一番外側は城壁が巡っていたようです。今は市の中心部を環状道路が取り巻いていますが、その道路沿いにはところどころかつての城壁が残っています。この旧城壁を出たすぐのところにあるパブの外壁には、かつて城門があった頃の様子を描いた絵が掛けられています。日本から来客があると、こうした歴史の痕跡とこの町の今をブラタモリ的に案内することになります。

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 ノリッチの街は結構起伏があり、1階だと思って入ったらそこは向かいの道路からは2階だった、ということもあります。碁盤目状に街区が形成されているわけでもなく、迷いやすいのも確かです。私も慣れるまでは少し時間がかかりました。今回の日本からの来客は方向音痴の人が多く、地図を見ながら案内して、その地図に目印をつけておいても翌日には道に迷ってしまっていました。そんな時は周りを見渡して、背の高い大聖堂の尖塔を目印に自分がどのあたりにいるか確認すると良い、あるいは、道が交差する角にあることが多いパブや、パブでなくても店の名前や雰囲気を覚えておいて目印にすると良いとアドバイスしています。

  • 2016年05月10日(火) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.4 吉田泰幸


The Great Curve: 縄文と英国先史文化の曲線美

 Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)には日本で言うところの「友の会」のようなサポータークラブがあり、その方々向けに2月9日にAn Evening of Art and Archaeologyというイベントが開催されました。SISJACのサイモン・ケイナーさんの司会で、訪問研究者としてSISJACにいらしている弥生時代研究者の方と私が話題提供を担当しました。私は「Jomon and Art」と題して、昨年、縄文時代の土偶が英国のオークションにおいて100万ポンドで落札されたことや、縄文は岡本太郎に始まり坂本龍一に至るまで、今も昔も広くアーチストを魅了していることを紹介しました。その後、サポータークラブの方々との質疑応答のようになっていったのですが、そこでは土偶についての疑問、質問がいくつか寄せられました。やはり縄文土偶の造形は洋の東西を問わず人々を惹きつけて止まないようです。

 英国の新石器時代には縄文時代の土偶のような造形物はあまり見かけません。現在、北海道南部と北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録を目指していますが、英国新石器時代の遺産として著名なストーン・ヘンジ(Stone Henge)は世界遺産となっています。2月にSISJACがヨーロッパの大学と東京大学の学生を対象としたWinter Programmeを開講し、その中でストーン・ヘンジにもバスをチャーターして訪れるというので、便乗させてもらいました。

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 ストーン・ヘンジは入り口にあるビジター・センターで映像なども駆使した展示でストーン・ヘンジの景観の変化や、出土遺物についての知識を得た後、シャトルバスで最も著名な巨石遺構に近くまで移動、そこから巨石遺構の近くまで歩いて、その周りを一周するという一連の体験の流れがデザインされています。これは数年前の再整備によるもので、それ以前の景観は自動車も通る道が巨石遺構のすぐ近くを通っていたり、随分と異なるものだったようです。訪れた日は英国の2月にしては珍しく青空が広がる中、巨石遺構のすぐ近くの牧草地で草をついばむ羊も含む景観を楽しむことができました。展示室も巨石遺構の周辺も見学客で賑わっていましたが、それでもハイシーズンではないので人は少なめだったようです。

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 ストーン・ヘンジの後は同じくストーン・サークル状の巨石遺構であるエイヴベリー(Avebury)を訪れました。こちらも世界遺産なのですが、日本での知名度はそれほどでもありません。巨石遺構の規模も大きく、その周りを巡る溝も深く、幅も広いです。博物館やカフェといった施設も一揃いあるのですが、そちらの規模はストーン・ヘンジとは比べるまでもなく小規模で、遺跡の中を道路が横切り、遺跡の中に民家もあり、雰囲気がストーン・ヘンジとはかなり異なります。英国人、日本人研究者問わず、観光地として洗練されていくストーン・ヘンジよりもエイヴベリーの方が好きだ、という方は何人かいます。

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 今、平面プランが丸い家を建てたら空間の無駄遣いと言われるかもしれませんが、大昔の家はそうした家が多いです。縄文時代の竪穴住居も、当時の技術ではそれが合理的だったのか、象徴的な意味合いがあったのか、丸い平面プランです。英国では青銅器時代の住居の復元画がクリスマス・ハットのような円錐形、つまり平面は円形の住居で描かれていて、実際の出土例がそうなんだろう、ぐらいに思っていましたが、そんな中、当時の住居の様子をよく伝える遺跡がノリッチから電車で1時間半ほどのピータバラにあるマスト・ファーム(Must Farm)という遺跡で見つかったことがニュースになりました。柱だけでなく上屋の構造を支えていたであろう材木も出土しました。この地方に特徴的な低い土地に築かれた遺跡で通常の遺跡では残りにくい有機質の遺物がよく残っているので、「Britain’s Pompeii」というキャッチフレーズで注目を集めています。冒頭で触れたSISJAC訪問研究者の弥生時代研究者は「イギリスの青谷上寺地(鳥取県の遺跡で同じく有機質遺物が豊富)」と命名していました。マスト・ファームを見学した際は、すぐ近くにある著名なフラッグ・フェン(Flag Fen)という遺跡公園も訪れたのですが、英国のサマータイムの時期しか開園していないらしく、また次回となりました。

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  • 2016年04月11日(月) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.3 吉田泰幸


London: 対極的なものたちのモザイク

『発掘から推理する』という本があるくらい、考古学というもっぱら発掘で得られた極めて断片的な資料をもとに考えを巡らす行為は、探偵や刑事が事件解決のために行う推理になぞらえることができます。最近の考古学は骨考古学とも言われるBio Archaeology、ミクロな痕跡の分析を行うArcheological Scienceが注目を集めているので、探偵や刑事ではなく『科捜研の女』のような科学捜査研究所の法医研究員になぞらえた方がいいかもしれませんが。

 探偵はいつもフィクションの世界で人気キャラクターとなっていて、アガサ・クリスティの生み出したエルキュール・ポワロやミス・マープルも有名ですが、最も根強い人気があり、元祖名探偵と言えるのはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズでしょう。ロンドンのベーカーストリート・221Bに住んでいたことになっているホームズは、近年では現代版「SHERLOCK」として蘇り、主演のベネディクト・カンバーバッチとマーティン・フリーマンが忙しすぎてもう新シリーズは製作されないのでは、という不安をよそに、元日にはシーズン4に向けてのスペシャル版が放映されました。フラットにテレビがない私は同時刻に映画館で上映されたものを観に行きましたが。

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 ノリッチからロンドンまでは電車で2時間ほど、Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)主催、または関連のイベントがロンドンで行われることも多いので、ロンドンには月に1〜2回は出かけています。SISJACの連携機関である大英博物館やその隣にあるSchool of Oriental and African Studies (SOAS)に行くことが多いのですが、時間があるときはロンドンの街を歩いています。大都市らしく常に変貌を続けているロンドンは17世紀ロンドン大火直後のクリストファー・レンによる建造物が残る一方、現代的な建築もところどころに姿を見せるモザイク状になっています。テート・モダンからセント・ポール大聖堂を結ぶようにテムズ川に架けられたミレニアム・ブリッジ、タワー・ブリッジのすぐ近くにある半球状のロンドン市庁舎のあたりはある意味ロンドンの典型的な風景かもしれません。ミレニアム・ブリッジとロンドン市庁舎はともにノーマン・フォスターのデザインによるものです。彼の最初期の建築として著名なのはSISJACの連携機関であるUniversity of East Anglia (UEA)にあるSainsbury Centre for Visual Artsで、映画「アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン」では終盤、アベンジャーズの新しい基地として登場します。

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 フェローシップ期間の1年の間、月に1〜2回通ったとしても、とても全ては見ることができないほど名所ばかりのロンドンですが、ここは訪れておこうということで、ベーカーストリート駅のすぐ近くにあるシャーロック・ホームズ像と、今はシャーロック・ホームズ博物館となっていているベーカーストリート・221Bを訪れました。ホームズ像は等身大以上のサイズの巨人と化しており、博物館は私を含むアジアからのお上りさんで大混雑でした。
 
ベーカーストリートに来たのは、すぐ近くにある大和日英基金で開催された現代アートの展覧会開催を記念したオープニング・イベントで、アーチスト・トークのお相手を務めるためでもありました。SISJACは日本藝術研究所の名のごとく、美術が主たるテーマの講演会やシンポジウムも数多く開催されるのですが、そこで出会ったキュレーターの方のアレンジで、アーチストとのトークに考古学者としての私が参加するということが実現しました。そのアーチストの展示作品の中に、縄文土器の「欠けた部分」に模造宝石・マーカサイトを配したものがあり、その作品との遭遇から考古学者としての私が考えたことをお話しし、会場の方々も交えてトークをしました。

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 考古学者はモノを通じて何か抽象的なテーマに取り組むことを常としています。一方で、そのモノが何の因果か地中から掘りだされて、今のこの時代の社会に存在することの意味については、あまりよく考えません。また、土器や土偶をどう修復・復元するのかについても、漠然と何か修復法や復元の方法に唯一無二の正解があると思っていたり、先輩方から教えられた修復・復元法を無批判に繰り返している一面もあります。古いとは、あるいは古くなっていくとはどういうことかに興味があるというそのアーチストの作品にみられる縄文土器とマーカサイトのモザイクからは、上記のような考古学者のモノについての、あるいは修復や復元についての認識に強烈な疑問符が突きつけられているように強く感じ、私はそれを率直に言葉にすることによって、アーチストとの応答を始めました。

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 イベントの前後には、多くのアーチスト、あるいはアート研究者にお会いしました。なぜ彼ら、彼女らはロンドンを目指すのか、SISJACのとある研究員は、お金が集まるところでアートは活気づく、だからニューヨークとロンドンがアートの双璧なのかもしれない、と言い、鋭い批評の存在も重要かも、とも付け加えられました。昨年12月にSISJACが開催したイベントで基調講演を行った、越後妻有トリエンナーレの発案者・北川フラムさんは、「アートは今では投機の対象となり、ハイパー資本主義に巻き込まれているが、地域とは友達だったはずだから」という動機で人口減が進行する地域でアートイベントを始めたと話していました。大和日英基金で出会ったアーチストも、行く先のないポストカードを扱う郵便局を瀬戸内海の小さな島に開局するという活動を行なっていて、それをロンドンに開局するのも今回ロンドンに来た理由でした。資本が集中するグローバルな大都市を必要としながらも、Eメール全盛の時代にポストカードを軸にした地域での活動も並行して行い、両極端を縦横無尽に行き来するアーチストの様子もまた、ロンドンにふさわしいのかもしれません。

  • 2016年02月26日(金) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.2 吉田泰幸


Everyday is Like Sunday: 年末年始のフットボールとイングランドの地方都市


 日本での仕事をお休みしてイギリスに来ているので、時間だけはあった学生の頃に戻って毎日が日曜日のよう・・・とはいかず、インターネットのおかげで(あるいは「せいで」)日本での仕事も隙間時間にやろうと思えばできてしまう、というのは果たして生産性とはそもそも何か、と考えざるをえません。

 12月も下旬になるとSISJAC (Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures)も年末モードでスタッフが次々に休暇に入りました。イギリス国外で休暇を過ごすスタッフもいましたが、私は年末年始、イギリスに残り、クリスマス当日に無謀にも街中を歩いてみると、いつもの賑やかなノリッチ中心部の店という店が閉まり、人よりも鳩の方が多い光景を目の当たりにし、こちらの人にとってクリスマスは家族と過ごす日なのだ、ということを今更ながら強烈に実感してそそくさとフラットに帰りました。

 クリスマスの翌日はボクシングデーという祝日です。なぜボクシングデーと呼ばれるのかは諸説あるようですが、この日は必ずイングランドのプレミアリーグを含むフットボール(サッカー)各カテゴリーのリーグ戦が一斉に行われます。なぜボクシングデーにわざわざ開催するのかも諸説あるようですが、とにかく昔からそうなっている、以外の答えはないようです。他のヨーロッパ諸国のリーグはウィンターブレイクに入っているにも関わらず、ボクシングデーだけでなく毎日が日曜とは行かずに年末年始も休みなく試合が続くのがイングランドの特徴です。ノリッチにもプロフットボールクラブ(Norwich City Football Club)があり、近年はプレミアリーグと一つ下のディビジョンのリーグを行ったり来たりしているようです。ノリッチ・シティの年末年始は12月19日に何と敵地で古豪マンチェスター・ユナイテッドに2-1で勝利した後、26日のボクシングデーには敵地でのトッテナム戦に臨んだのですが、0-3で大敗してしまいました。そこからなぜか中1日で28日にホームでの試合が組まれており、最下位のアストンヴィラに快勝(2-0)、そして年明け早々2日にホームでの試合があり、サウザンプトンに1-0で勝利、と上々の結果でしたが、フットボールのような肉体的にハードなスポーツで中1日というのはやはりどうかしている日程です。これらを全て、アウェイは近所のパブのテレビで、ホームはスタジアムで観戦した私もどうかしているのかもしれませんが。

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 ノリッチ・シティのホームスタジアムは街同様、コンパクトな作りでとても良い雰囲気でした。客層は老若男女満遍なくという感じで、みなそれぞれのペースで思い思いに観戦しているのですが、時々どこかで発生したチャントがさざ波のように広がり一体感が生まれる様子、相手チームのファンたちはアウェイからわざわざやってきているだけあって試合にのめり込み過ぎでやっぱりちょっとおっかない人たちだったことなどは、黄色を基調としたノリッチ・シティのユニフォームと緑の芝生とのコントラストとともに、とても印象的でした。

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 過密日程のフットボーラー達にお付き合いする前、12月の14〜16日には、イングランド北部のブラッドフォードという街で開催された学会、Theoretical Archaeology Group、通称TAGに参加してきました。

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 学会でブラッドフォードに行くことをSISJACのスタッフに告げると、ほぼ全員が「ブラッドフォードではカレーを食べるべき」と勧めてくれました。揚げた魚と芋に塩か酢だけをふりかけただけの代物が名物のこの国の人たちが言うことを真に受けていいのだろうか、とも思いましたが、別件でロンドンに行った時にお会いした日本人考古学研究者の方も「私も英国人の言うことを疑ったが、ブラッドフォードのカレーは本当に美味しい」とのことで、1日目の夕食からカレーとなりました。結果、とても美味しかったです。ブラッドフォードにはパキスタンからの移民が多く、彼らが経営するパキスタン料理の店では本場の味が楽しめるのです。ブラッドフォードの街は、狭い意味での英国人・イングリッシュの方がマイノリティではないか、と思うぐらい、パキスタン系の方々が多かったです。二日目の朝には、とある店でパキスタン系のスタッフに昨晩のパキスタン料理が素晴らしかったと私が言うと、どこの店か、と聞かれ、店名を伝えると、そこには毎週家族で行くんだ、とのことで、そういう店が美味しいのもうなずけます。

 街を歩くと、もはや廃墟と化してしまった家屋や集合住宅も頻繁に目にしました。パブに入ると、パキスタン系の人はムスリムなのでお酒を飲まないために見かけず、かわりに狭い意味でのイングリッシュだけでしたが、若い人をほとんど見かけませんでした。そのことをノリッチに帰った後にSISJACのスタッフに伝えると、「それも英国の現在の姿の一つで、ある意味いい経験をしたのではないか」と言われました。どうやら、かつては製造業で栄えたイングランドの地方都市がどこも抱える問題のようです。

 さて、TAGは直訳すると理論考古学会ですが、「理論」からイメージされるような抽象的な、あるいは小難しい話ばかりをしているわけではなかったです。ある人によれば、「理論と言っても事実報告ではなくて、程度の意味合いで、新しいこと、議論をしようという会」で、それはこの会の雰囲気をよく言い当てていると思います。全体テーマ「多様性」のもとにいくつものセッションが立てられており、芸術家と共同のプロジェクトの紹介、今の考古学界に若者はどこにいるのかという問い、メンタルヘルスと考古学、考古学を基にしたフィクション作品の分析、考古学における地図を考え直そう等々、日本でも同様の課題はおそらくあるものの、このように何百人もの人が集まり、ある種考古学をメタ視点から見た発表と議論を集中して行う会は日本にはありません。

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 私は日本から来たアメリカ人文化人類学者の同僚と共に一般発表のセッションに入り、同僚は縄文時代遺跡公園における復元建物の問題を、私は「To Climb or not to Climb: The Ethics of Burial Mounds as Public History in Japan (登れる古墳、登れない古墳)」と題して、日本の古墳のマネジメントのあり方について、TAGの全体テーマ「多様性」に引きつける形で発表しました。縄文についての発表は、4月と6月にアメリカで行われる学会、夏に京都で行われる世界考古学会議で行う予定です。世界考古学会議、WAC (World Archaeological Congress)は英国における考古学のあり方についての議論から誕生したと言われています。その前に英国で、日本での発表とは異なるテーマ設定・構成などが求められる英語圏ならではの学会で発表を体験できたのは、今後のプラスになると思います。

  • 2016年01月12日(火) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

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 NPO法人国際縄文学協会は、縄文土器・土偶・勾玉・貝塚など縄文時代/縄文人の文化を紹介し、研究促進を目的とする考古学団体です。セミナー/講演会、資料室、若手研究者の留学/奨学制度、遺跡の発掘現場の視察、機関誌の発行を行っています。

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