International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『沖縄の風水史・8』 渡邊欣雄


■写真17 首里城

首里城自体は、風水で作ったというわけではありません。それより古い時代に作られている。いわゆる3つの国に分かれていた時代の、中山国(ちゅうざんこく)だった。その首都というか国王がいた所だったわけです。風水導入前から首里城の場所はあって作られていた。この首里城は風水の記録があり、琉球国になって、改めて首里城は風水上いいか、悪いかと判断されました。「風水がよい。ただし首里城の風水上唯一悪い所があると。それはある方向に地形状に欠け=欠落があるからそこに松を植えなさい」ということが書かれてあります。唯一そこだけが悪かったようですが、首里城全体は風水上よいとされた場所です。

■写真18 亀甲墓の作り方を書いた風水書

 前方後円墳形式の沖縄亀甲墓の作り方を描いた風水書です。風水書にはだいたいこのような図が載っています。この図面を見ると大変重要なことがわかる。なぜ円形かというと、「天の形、円に到る。故に墓の頂きは丸なんだ」と書いてあります。天の形だから円なのです。前方後円墳、後ろだから円ではなく、後ろか前かはわからない。天を表すから円。つぎに「地の形方に至る故に穴内の四方形は方」と書いてあります。地と言うのは人の空間で、天は神の空間です。地というのは、四角に作らなければいけないという原則に基づいているから方形。しかも穴内(けつない)、つまり気が集中するスポットでもあるようです。「四角形、故に方」。

「天地人、相和せば、而して安葬なり」、天と地と人が調和してくれば墓にいる死者というのは安葬=安心して葬れる、と書いてあります。

その他面白いのは、「書に曰く墓の形は婦人正座像なり」と書いてある。これは今民間で、沖縄の墓が亀の甲羅の墓=亀甲墓と呼ばれていますが、その亀甲墓がどういう形をしているか、<婦人が座っている形をしている>というのは民間の人からよく聞く話です。ところが手書きの風水書の中では「書に曰く……」と書いてある。ある書というのはおそらく風水書の原典だと思いますが、その中に、墓は婦人の正座の形をした像なんだと書いてある。これも沖縄の人たちは口頭で伝えていますが、実は風水に由来しているんだということがわかります。こうやってお墓と言うのは、前方後円に作るように見えて、実際は天円地方墳という形で作るという事が風水書には描かれていて、天と地を表現するというために亀甲墓=前方後円墳を作っていくんだということなんです。また、「この図は福建汀州府永定県太平里黄龍寨前の張丙林延機氏輯著也」と書いてあります。この図は福建省の汀州府の永定県の太平里の黄竜寨という場所の、張丙林別名延機という人が集めた本から取ったんだということが書かれています。福建省の西の方の墓のプランなのです。それが沖縄に伝わっているということがよくわかります。

■写真19

16世紀の沖縄最古の墓。中国から伝わったお墓です。記録では1689年、中国では亀の甲のように見えるという、亀甲墓。民の曽得魯という人が伝えています。

■写真20

まさにこの図面が、天円と四角い方が土地です。天は円であるということで表されたお墓の形です。もちろん風水を見て作られています。お墓は古くはこのような形でした。天円と地方という形で作られています。

■写真21

これは久米島のお墓です。昔のよりもっとはるかに巨大。地形状の後ろが高く、手前が低くというのは都市と同じですが、まさに都市と同じようなプランでお墓が作られています。天円地方として作られていて、ヒンプンもあります。やはりお墓もまた気が発生しますから気を逃さないように、外からの悪い気が侵入しないように、壁を作ると言うようにしてお墓が作られています。こうやって、沖縄では形が風水の理由に従っている。

(終)


渡邊 欣雄   
國學院大學文学部日本文学科(伝承文学専攻)教授

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