International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『沖縄の風水史・2』 渡邊欣雄



 今から2500年前、我々は方位磁石、つまり鉄の磁石で磁北極、磁南極を判断することができました。それ以前には地球の回転軸を北極、南極と認識していました。さらに八卦見の方法として、我々の使っている時計「土圭」が「時計」の発音の起源なんですが、棒のような計器を使っていました(写真1)。

日の出の光が入ってきて、日の入りの光が入ってくる。これを二等分すれば、南がわかるわけです。これは地球の回転軸の南であって、いわゆる磁南極とは違いますが、このような形で方位を測っていた。ところが地磁気に従うところの方位。それを発見したのが2500年くらい前なのです。それ以前に、いろんな方法が使われてきました。この方位測定法は『続日本記』にも登場します。日本の平城京を作っていくときに、どのように方位を判断したかという内容も載っています。ただ中国では既に2500年前にこのような方位測定法がだんだんと衰えつつあったので、方位磁石も併用して測っていました。日本ではまだそうではなく、このように太陽の光を用いて測っていました。今日でいうところの時計(土圭)です。

その「時計」という文字と読み方は本当に困ったことで、これは「とけい」とは読みません。「ときけい(時計)」と読むように小学校で教えて欲しいのです。1603年の日葡辞書には、時計に「土圭」の字を当てています。しかし江戸時代中期には土圭(時計)を「とけい」と読ませるようになった。これは大きな間違いです。

(写真1)

(写真2)

(写真2)は指南(しなん)といいますが、日本でもこのような道具を使っていたのは確かです。沖縄では使っていません。これが2500年前に発明され、2千年前=漢の時代に目盛りがつきました。だいたい日本では南を指すという道具を、このような器械だとイメージしていない。これが実際環境アセスメントに用いられてきた。それが風水です。このスプーンのような北斗七星の形をした絵柄は南を指すわけですから、それをここに乗せて、方位を判断していた、その目盛りだけを描いて載せた本がいわゆる家相の本です。日本の家相書にこの方位の目盛りだけ残っています。

 また、「鬼門」とありますが、日本人は鬼門だけ篤く信仰していますけれど、そうではなくて、鬼門の反対は人門ですし、天門=北西の方位、地戸=南東です。これは方位の名前であって別に方位の良し悪しは関係なかったんです。日本でよく用いられたのは式盤(しきばん)という方位を判断する、北極星で方位を測る方位盤です。陰陽師がよく式盤を用いて方位を判断していました。


(図2)

 しかし方位というのは一種類ではありません。ここに「子(ね)」がある、ここに子(北)があればここにも子(北)がある、つまり子(北)というのは複数あるわけです。複数方位が違うわけです。それを確定していくのが風水師の仕事ですが、今そんなことやっている人は誰もいない。ここを磁北極とすれば、実はここが地理上の北極になるわけです。(図2)

さらに、円周は360度だという考え方ですけど、360度というのは地球の一公転に対する自転の回数365に近い数を指したわけですが、風水の方位がほぼ一致するのは北極星と地球の回転軸の違いで、違いは360分の一度です。だから方位というのは、北はいくつもあります。それを表したのが、羅針盤という、これが土地測量している図です。(図3)このようにして琉球国もそうですが、国造りをしてきたといえるわけです。

(図3)


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