International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『日月を放つ縄文の巨木柱列・7』 萩原秀三郎


(写真15)

オロチョン・三角テント。大興安嶺近くのオロチョンの儀礼。大興安嶺といっても満州族がねずみの山だとバカにしてる。全然低いんです。汽車で行っても、高い山は見えたことが無い。どこに山があるのかわからない。なんとなく高くなって、なんとなく降りて、そこに川は流れ、オロチョンも川のほとりで儀礼をやる。テントの真ん中にあるのが中心の柱で、梯子状になっている。本当はもっと大きなテントでしたが、テントの皮がないんです。

(写真16)

テントの中です。

こういうふうに真ん中にミニ宇宙樹があって、太陽や月や鷹が止まってますね。いろんな神様が置いてある。これ柳の木なんですけどね。こういうふうにクリスマスツリーみたいに、太陽も木も、梢の先からぱっぱっと出ていってたんですよ。地下から入ってきてね。


(写真17)

鳥がシャーマンの両肩に、止まっていて、これは回転するようになっています。で、神霊が憑依すると、小鳥が今何の霊が憑きましたよと教えてくれる。口ヘンに隹(とり)と書いて、「ゆい」と読みますよね。唯々諾々、鳥の言う事は素直に聞くものだと、唯々諾々(イイダクダク)。江戸時代になると、なに御託(ゴタク)並べやがってと、御託というのは託宣のことですね。だんだん権威が落ちてくるわけです。本来はちゃんと神託は素直に聞くべきものなんです。

(写真18)

これは百鳥(ひゃくちょう)といって、柱の先に鳥がいっぱい止まっている。キツネとかオオカミとか、守護霊がいろいろあるんですよ。ダフール族のシャーマンによってね。動物霊が多いですね。



(写真19)

社というのは柱が中心になるんですけど、その場合、2通り考えられると思いますね。天地神明造り、いわゆる伊勢神宮、それから出雲大社。もともと神霊が宿る所は、臨時に宿る山とか依り代とかそういうものが考えられたけども、本殿を作るようになったのは、神明造りと出雲大社の大社作りですね。だけど神明造りの場合は、穂倉といって、稲の穂をお祭りしたのが中心で、神社が成立したといわれてますね。出雲大社の場合は、大国主とスセリヒメの婚姻が行なわれて、新居として建てられたと日本書紀に出て来るもんだから、神の宮居というか、寝殿が原型になったというふうにいわれてます。だけどそんなことはないですね。出雲でいろいろ調べてみても、本当は柱からはじまってヤシロの原型は穂倉なんです。写真は福島県棚倉町箕輪の穂倉で、神明造りふうの平入りですね。

 古代においては、妻入りが多い。あそれは、妻がころんで出ていると、雨にかからないもんだから、こっちから出入りする。平入りなのはその後の段階ですね。平入りの穂倉の形をとっている。毎年じゃなくて、4年にいっぺん点点と移動して行なわれて、新しく立替ながら行なわれているものが、お桝明神(お桝小屋)というものです。今穂倉じゃなくて、穂を入れた、桝。それをお祭りしてるのはこういう形の神社の原型みたいなものです。(終)

萩原秀三郎
民俗学者

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