International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 縄文インタビュー 長浜浩明


質問①:この本を書かれた経緯をお聞かせください。

大学時代、私は建築学科ということもあって、第二外国語としてフランス語を選びました。ところが、ドイツ語をとった友人が「ドイツ語はやさしくて良いぞ」と言うのです。聴くと「英語とそっくりだ」とのこと。その分けを知りたかったので少し調べてみたところ、ゲルマン民族の大移動と関係あることが分かったのです。つまり5世紀くらいにゲルマン族の一派であるアングロ族、サクソン族が大ブリテン島に侵入し、先住民を南北に追いやり、そこに王国を打ち立てたことが今日まで伝わる英語とドイツ語の類似性の原因だった、と納得したのです。
また当時、戦後の闇を切り開いた江藤淳が「文学」を教えていました。私は「法律」をとったのですが、先生の授業は興味深く、時間があれば聴講していました。その影響を受けてか、戦後日本の文系社会には彼らが公表できない闇、様々な“ウソ”と“タブー“が潜んでいることを知ったのです。
 また司馬遼太郎の本も読んでいたのですが、街道を行くシリーズの「湖西のみち」で、日本人のルーツについて語っているところがありまして、それは確か、キムとかいう韓国の方との会話だったと思うんですが、日本人の6割とか9割以上が朝鮮半島から流れ込んだ人たちを祖先としている、とのことでした。
 この話は、昔、学校で習った話と同じようでもあり、以前でしたら気にも止めない話なのですが、“英語とドイツ語の関係”と“文系社会の実態”を知ったためか、「本当なのか」と思ったのです。仮に、2300~1700年前に半島からやってきた人たちが日本人のルーツなら、日本語と朝鮮語と間に何らかの近親性があるはずだと。
 ところが朝鮮語を聞いても全くわからない。それはちょっとないんじゃないか、と思いました。どう考えても納得できないので、そのころから機会あるごとに色々なことを調べ始めたわけです。理工系の大学教育のせいか、“疑問点は納得するまで徹底的に調べる”が習い性となっていたようです。
 だが、ずっと納得し得る本に巡り合ったことがなかったのです。ある日、当時有名な知識人・山本七平の『日本人とは何か』が発売されたことを知り、期待して読んでみました。そこでの氏の見解とは世の定説と大差なく、ちょっとがっかりしたわけです。あの山本七平にしてこの考え方かと。
 だがそのなかで、京都大学の生物学者・日沼頼夫教授が、ATLウィルスという白血病を起こしうるキャリアの分布状況を調べた話が紹介されていました。このキャリアは、日本では沖縄とアイヌで多く本州では少ない。また朝鮮半島や大陸ではゼロなのです。そこでの山本は、縄文時代の人たちは元々かなりの割合でATLウィルスをもっていて、ある時代に朝鮮半島や大陸から人々が渡ってきて、本州中心にATLウィルスキャリアが薄まっていった、なる定説をなぞるだけでした。
 けれども子細にみると、本州のなかで九州が7.8パーセントととびぬけて多い。中部地方が一番少なく0.3%。関東や東北も少ない。もし、渡来人々が大陸や半島からやって来たなら先ず九州に着くでしょう。そして日本列島を北上してゆくのではないか。大勢の渡来人が押し寄せたなら、九州が一番少なく、中国、四国、近畿、中部、関東、東北とだんだん多くなっていくはずだ、と思ったのです。この見方は、山本七平や専門家の見方と異なるものの、大勢の渡来人がやって来たという話はおかしい、と確信するに至りました。
 その後も新しい事実が分かって来て、稲作を始めたのは渡来人ではなく縄文時代の人たちだったという考古学的証拠もあったのですが、その後、多くのルーツ本を読んでみても、インタヴュアーは学者の言うことに反問できず、鵜呑み状態で肯定し、どの本も結局は当たり障りのない定説を追認していたのです。“日本人のルーツ”となると色々なことを言い得るので、決定打がなかったからでしょうか。
 けれども、最近、篠田謙一氏の『日本人になった祖先たち』を読むことで、“話は逆だった”と直感したのです。氏は、韓国人のなかに縄文時代の人と同じDNA配列をもつ人がかなりいる、というんです。同じDNA配列をもっている、ということは、ご先祖様は同じだった、ということです。縄文時代の人たちと韓国人の遺伝子配列が似通っているのだから、縄文時代の人たちが朝鮮半島に進出していたと考えるのが自然だ、と氏はいうのです。考古学からの裏付けもあり、これは決定打になりました。
 そして今までの疑問が、考古学、生物学、それに分子人類学、この三つの確固たる足場が築けたことで、長年の謎がするすると解けていきました。そこでこのような本が世にあるかと思って見渡すと、私が調べた範囲では類書は無かったので、まとめるのは大変でしたが、本にして世に問うことにしました。

質問②:本書で最も伝えたいお考えは何ですか。

過てる歴史常識を正さないと、立派な学者の見解も誤ってしまうということです。私はここで個人名を挙げて様々な角度から論じているわけですが、個人名を挙げるということは学問の進歩には不可欠なことです。それを受け取った方が反論をして下されば“私の見解が再検証できて嬉しい”のです。そして、互いに論じ合うことで“より正しい見解に近づく”ことが学問の進歩になる分けですよね。
 例えば、九州大学の中橋孝博さんという方が、どうして北部九州の甕棺から出てくる顔が細長いのだろうと、疑問を持たれたようです。彼は九州の学者ですから、渡来してきた人は殆どいなかったことを知っていたからです。そこで彼は次のように考えた、というのです。
当時、縄文晩期、人口が7万5800人位だったその時代、紀元前300年頃に76人の渡来民が稲を持って北部九州に流れ着いた。こうして日本の稲作が始り、稲作民は多産系だから、人口増加率年2.9パーセントのネズミ算で増え、300年後には彼らの人口が約40万人になった。当時の日本には、縄文人が7万5700人位住んでいたのですが、彼らは300年間ずっと狩猟採集民だから、人口増加率が300年間年0.1パーセントで変わらなかった。だから300年後の紀元0年ごろになっても約10万人になっただけだったと。甕棺が出る人骨を調べると、渡来系とされる細長い顔をした人が多いのはこの人口増加率の違いが原因だった、としたのです。
 この計算の前提は、中橋氏の頭に巣くっていた、“紀元前300年にコメをもった人たちがやって来て水田稲作を始めた”にあるわけです。北部九州での水田稲作は、紀元前600年から、或いは前900年から始まった、ということを知っていれば、そんな計算は出来ないわけです。つまり子供のころ習った、過てる歴史感覚が立派な学者の結論を誤らせてしまうわけで、宝来聡氏も篠田謙一氏も同じような考えでした。そこを直さないと、どんな立派な学者が出てきて正しい分析を行っても正しい結論に至らない。これが最大の問題だと思っています。正しい歴史を知らないと、立派な学者の研究も間違った結論を導きだしてしまうということです。
 ところが、子供の歴史教科書を見ると、半世紀に及ぶ考古学的、分子人類学的知見が何ら反映されていないのです。今も小中学校では「米作りは2300年前ころに朝鮮半島からやって来た人たちが伝えた」と教えている。これは私が50年前に習ったのと同じで、とっくの昔に間違いと分かっているのに、今の子供たちは間違いを学ばされ、間違いをよりよく覚えた子供が優等生になる。これはおかしいですよね。
 その頭で進学し、理系か文系かを選択して専門の研究に入るわけで、専門は立派なのですが、その研究から導き出した結果がおかしくなってしまう。そういうのは困る。正しい歴史的事実を子供たちに教えないと、日本の為にならないと思っています。

質問③:今後、縄文や日本人のルーツについて、どの様な研究を続けていかれるご予定ですか。

全ての学問は専門化が極度に進んでいます。各専門家は自の分野については詳しいけれども、全体を見渡してどんな姿が描けるのかということについては、他分野の専門家に遠慮をするわけです。私の経験からも、その心情は良く分かります。
 私はこの方面の専門家ではないので、日本人のルーツについての各論を遠慮なく拾い出し、専門家が言ってきたことを、タブーや先入観にとらわれることなく、科学的、論理的な目で見渡すとどういう世界が見えるのか、これを客観的に成し得る立場にいたということです。ですから自分の言葉で強く主張してはいない。他人の研究成果を、“客観的、科学的、論理的に再検証”しているだけです。
 こうして出来あがった実像を見ると、“縄文時代の人たちは先住民ではなく、私たちの主なご先祖様だった”という結論になったのです。
 このようなやり方で、縄文・弥生時代に続く時代、大和朝廷と例えば邪馬台国との関係を科学的、論理的に検証したらどうなるのか。この話も深い霧に包まれ、百家争鳴の中で納得できるものに巡り合ったことがありません。今までの見方は思い込みが激しく、科学的、論理的見方と縁遠いんですよ。そういった意味で、大和朝廷と邪馬台国、卑弥呼と神武天皇の関係といった時代を明らかにするくらいまでは、やってもいいかなと思い、ようやく新たな切り口からこの時代の実像が描けたので、文章化すべく取り組んでいます。
 これをきっかけに、日本人のルーツに関する論争ができれば幸いなことです。論争を通して真実に近づき、それが進歩につながるなら、いつでも喜んで時間を割きたいと思っています。誰もが、間違っていれば改めれば良い。世の中の進歩とはそういうものと思っています。

(平成23年2月1日 国際縄文学協会図書資料室にて)


■長浜浩明(ながはま ひろあき)
昭和22年群馬県太田市生まれ。同46年、東京工業大学建築学科卒。同48年、同大学院修士課程環境工学専攻修了(工学修士)。同年4月、(株)日建設計入社。爾後35年間に亘り建築の空調・衛生設備設計に従事、200余件を担当。
主な著書に『文系ウソ社会の研究』『続・文系ウソ社会の研究』『日本人ルーツの謎を解く』『古代日本「謎」の時代を解き明かす』(いずれも展転社刊)『脱原発論を論破する』(東京書籍出版刊)がある。

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