International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート 最終回 吉田泰幸


There Is A Light?: I would like to go back, rather, I have to go back

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。賛否もあるようですが、授与の連絡がつかないことは彼らしいと評されています。英国にほぼ1年間いたと言っても、住んでいる街、ポジションによってこの国の見え方は全く異なるでしょう。なんとなく聞いたことはあるものの実感はできない様々なことは、英国に保育士として暮らしながら、コラムも書いているブレイディみかこさんのウェブサイトに詳しく、度々彼女の記事を読んでいました。今回のボブ・ディラン受賞の件について、彼女によると英国でディランに比するのはモリッシー、とのことです。The Smithsのヴォーカルで作詞も手がけていたモリッシーの歌詞はひねった(あるいはひねくれた)内容が多くて、よく分からないことも多いです。

代表曲のひとつ、‘There is a light that never goes out’も家に帰りたくない、死にたい、と景気の悪いことを連ねながら、最後には「消えない光はある」と繰り返します。この歌はソロになってからも唄っていて、今では某動画サイトでライブの様子をたくさん観ることができます。モリッシーは時々UKに対する呪詛を吐き、終盤はたいてい興奮した観客の一人がステージに闖入しようとして案の定警備員に叩き出され、歌い終わった後、気が向いたらモリッシーはなぜか上着を脱ぎ捨て客席に投げ入れ、平均的な中年らしくたるんだ上半身を露わにする一連の半ば定型化した流れは一種の様式美も兼ね備えています。もちろん楽曲自体は素晴らしいのですが、それにしてもこの美しくも不思議で景気の悪い唄に盛り上がる英国人は一体何なのだろう、と動画を見るたびに疑問ではありました。

今でもその謎は解けていませんが、例えば寒い雨の日に遺跡や史跡巡りに向かう時、「今日は素晴らしい日(Lovely Day)です、なぜなら遺跡や史跡のパンフレットはたいてい青空がバックの写真ばかりだが、そんな日ばかりではない、実像を知って学ぶために素晴らしい日です」とSainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)のスタッフが言ったりする(実際、1年の半分は曇りか雨ですし)のと、あの唄で熱狂するのはどこかで繋がっているのかもしれません。

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 世界考古学会議(World Archaeological Congress)が終了して9月の初めにノリッチに戻ってきてからは、慌ただしい日々でした。すぐにロンドンに移動して、SOAS(School of Oriental and African Studies: ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)でJEASC(Joint East Asian Studies Conference)に参加しました。SISJACのサイモン・ケイナーさんが主催したパネル、‘“Japan Heritage” and untangling present engagements with the past’で縄文時代の遺跡公園と環境主義の関係について、‘Prehistoric Jōmon site parks and environmentalism’と題して研究発表をしました。JEASCは日本学だけでなく、中国・韓国に関する幅広い東アジア研究のトピックを知り、英語圏でのこの分野の議論を広範に知ることができて、大変有意義でした。

ノリッチに帰ってくると、10月に入ってすぐに始まる日本大使館での火焔土器の展示、‘Flame Pots: Heritage from the Jomon Period’に向けて、ついにサイモンさんが急ピッチで準備を始め、展示パネル作りや、1950年代に行われた新潟県栃倉遺跡発掘の様子を記録した映像の英語字幕の作成を手伝いました。協会理事の関先生が強く勧めていたオークニー島にも飛び、世界遺産となっているThe Heart of Neolithicと称されている新石器時代の遺跡を訪れ、その中の一つに今の考古学の考え方の枠組みに強い影響を与えているGordon Childeが発掘した遺跡があり、そこも訪れることができました。

上記の栃倉遺跡の映像編集に関するやりとりを担当者とネット経由で続けながら、大使館でのオープニング・イベントで講演をする先生方ご一行のアテンドでロンドン近郊の史跡を訪問し、大使館でのイベントが終わるとサイモンさんはすぐに日本に飛び、私の帰国とは入れ違いで英国に戻ると言うので、その前にノリッチで「おそらく最も古い(Probably The Oldest)」とされるパブでささやかなお別れ会、それが終わると帰国のための準備もろもろであっという間に時間は過ぎて行きました。

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 一時帰国の時にできる限り冬物衣料を日本に持って帰ったものの、来た時よりも箱数が増えてしまった別送品の配送手配も帰国準備の一つです。別送品を受け取りに来たドライバーはケニアから来たという男性でした。彼は「以前に日本語を勉強していた」、「サインは漢字でしてほしい」、ケニアで農業をしていた時は日本の農業機械を使っていて、今も持っている車は日本車で、親戚も日本にいたことがあるし、「日本に行きたい、いや、行かなくてはいけないんだ」と何度も繰り返しました。私がこの街の日本藝術研究所のフェローなんだと伝えると、日本語は教えているのか、と聞くので、それはUniversity of East Anglia(UEA)に聞いた方がいいかな、などと話しながら、最後に彼がもう一度、「必ず日本に行く」と言ってその場は別れました。彼にそこまで言わせてしまう、日本車をはじめとしたモノの力を実感しました。

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大英博物館には、大使館でのイベントを終えた後、新潟県の火焔土器が長期ローンで展示されています。火焔土器が何にインスピレーションを得たものなのかは諸説あるのですが、ここは文字どおり火焔としておいて、広大な大英博物館の一室で消えない光を放っているとしておきましょう。いつかそれを見た誰かが、サイモンさん同様にユーラシア大陸の反対側の日本に行かなくてはならない、と決意するのでしょうか。そうなるかもしれない誰かに向けて、縄文/Jomonの発信に改めて尽力しようと思いを新たにしました。そのためには、欧州と英語圏における日本文化、縄文/Jomon発信の拠点、SISJACがあるこの街を、再び訪れたい、ではなくて、ケニアから来た彼と同様に、再び訪れなくてはいけないでしょう。最終日の朝はスーツケースが重くなりすぎて持ち上げた拍子にハンドルが壊れてしまうという小トラブルにみまわれつつも、ノリッチ国際空港を発ち日本に戻りました。

  • 2016年11月03日(木) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.10 吉田泰幸


Wonderwall:第8回世界考古学会議(WAC-8 Kyoto)

 4週間弱、日本に一時帰国していました。1年しかない貴重なフェローシップの期間中になぜほぼ一ヶ月も日本に戻っていたかというと、色々細かな用事はありましたが、最大の目的は京都で8月28日から9月2日まで行われた世界考古学会議(World Archaeological Congress)に参加するためでした。
 一時帰国する前に再渡英する日にちは当然決まっていて、昨年10月末にロンドンに降り立った時にはほぼ冬だったことから逆算すると、英国に戻ってきた時にはこの爽やかな夏は終わっていて肌寒い秋になっているに違いないと思い、わざわざ湿気地獄の日本、さらにはKyoto Infernoに赴く前に風光明媚として名高いCromer海岸に行っておこうと思い立ち、一時帰国直前に行ってきました。Norwichから電車で40分ほどで着いてしまう、大きな桟橋から北海を望むことができるCromer海岸は、評判どおり素晴らしかったです。

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 World Archaeological Congress、通称「WAC」は人種隔離政策をとっていた国々からの英国で開催される予定だった学会への参加を認めるかどうかで研究者同士で紛糾して、人種隔離政策に異を唱える研究者たちによって発足した、考古学を通じて政治・社会問題にコミットすることを選んだ人たちが作った学会です。そのため、今、考古学が置かれている社会の現状を鑑みて、考古学の営みそのものをちょっと俯瞰した視点でみる姿勢が強いです。かつての、あるいは今でも残る先進国の考古学の帝国主義的側面、考古学におけるジェンダー間・世代間の不均衡、先住民の権利問題、開発行為と考古学の関係、考古学と地域コミュニティ、考古学と教育、考古学の倫理、考古学とアートなどが主要なテーマとなっています。では、そういうことを話し合うばかりの会なのかというとそうでもなく、WACが刊行している雑誌のタイトル、複数形の‘Archaeologies’の名のとおり、「少しでも過去を明らかにする」、多くの人がイメージするとおりの考古学の議論も行われています。

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 私は縄文考古学以外に近年すすめている東南アジア考古学の成果を広く共有すべく、日本・中国・インド・オランダの研究者と、古代人も現代人も魅了している綺麗な石でできた縄文時代のものも含むアジアの「玉器」や装身具について、国の枠組みを超えて議論しようというセッションを組んで参加したほか、建仁寺両足院という歴史ある建物を舞台とし、考古学者とアーチストが共同で作品を出展する‘Art & Archaeology’の企画、‘Garden of Fragments’に参加しました。縄文時代の火焔土器を模したアート作品に触れて考古学者がフィールドノートに書きつけたメモが遠い未来に発見されて掛け軸になってその作品と一緒に床の間空間を形成しました、という込み入ったコンセプトの掛け軸製作を担当しました。とは言っても、インターネットの時代、元になるデータを英国から日本に送ったのですが、額装された後はどのような感じになっているのかとても不安でした。実際のところどうだったのか、それは展示を見た人に委ねることにします。

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 WACはいろんな形容の仕方がありますが、様々な‘Archaeologies’を体現した膨大なセッションがそれぞれ趣向を凝らしてパビリオンを出している、考古学の万博のようなものと考えればよいでしょうか。非常に間口が広いこともあって、今回の参加者は1,500人以上とのことでした。多くのセッションが同時進行で行われていたこともあり、参加していることが分かっている知り合いに会えなかったどころか、日本開催ということで当然のように参加していたSainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)のサイモン・ケイナーさんにも会期中、顔を合わせなかったぐらいでした。

 WACのお別れパーティはパフォーマンス・アートの音楽とともにありました。ピアノにヴァイオリン、地元のよさこい?の人たち、最後はDJが登場して場を盛り上げました。英国で博士号を取った日本人考古学者である現WAC会長は英国のロックバンドOasisの‘(What’s the Story) Morning Glory?’のCDをDJに託し、フィナーレとして流れたのは‘Wonderwall’でした。そして英国ノリッチに戻ってみると、まだ夏の陽気が残っていました。9月でこういう天気は珍しいそうです。

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  • 2016年09月30日(金) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.9 吉田泰幸


Black Star:黒い石がつなぐ日英交流

 7月の14〜16日、フリント採掘坑遺跡であるGrimes Grave、Thetfordで‘East Meets West: The Archaeology of Obsidian and Flint’が行われました。これはGrimes Graveと黒曜石採掘坑跡の長野県長和町の星糞峠縄文鉱山遺跡との国際姉妹遺跡調印締結のセレモニー、日英のフリント・黒曜石研究者が参加したシンポジウム、Thetford庁舎のKing’s Houseでの歴史体験イベントがセットになった催しです。

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 フリントは様々な色のものがあるのですが、Grimes Graveのものは表面が白っぽい色ですが、割ると鈍く光る黒色が現れるのが特徴的です。Thetfordをはじめ、NorwichやNorfolk各地の街の家や壁の外壁に使用されている石です。その採掘は新石器時代からすでに始まっていたらしく、Grimes Graveがその採掘坑の跡がクレーターのように多数残っている遺跡です。星糞峠縄文鉱山遺跡は堆積岩のフリントとは異なり、火成岩で割ると鋭い切り口ができ、割る前から黒く輝く黒耀石(長和町では黒「曜」石ではなく黒「耀」石と表記します)の採掘坑遺跡です。私は学生時代に星糞峠を訪れているのですが、その後遺跡は国指定史跡となり、今では黒耀石体験ミュージアムを起点に活発な活動が行われているらしく、この‘East Meets West’もその一環と言えるでしょう。

 3日間の主役は長和青少年黒耀石大使の子供達でした。セレモニー、歴史体験イベントでは「幸せなら手をたたこう」のフリント・黒耀石knappingバージョンを英語で歌い、シンポジウムでは長和町の星糞峠縄文鉱山遺跡についての紹介を英語で行いました。

 私の仕事はその黒耀石大使の歌の伴奏を務め、あわせてご自分の歌も披露する長野県茅野市をベースに活動する歌手の方(その方も「黒耀石のふるさと親善大使」です)をヒースロー空港でお迎えし、Grimes Graveでのセレモニーに間に合うようにお連れすることでした。途中、ロンドン市内のギターを中心とした楽器店などが集まっている音楽街を訪れたり、大英博物館を大急ぎで見学したりと最低限のロンドン観光を終えて、Thetford駅に向かいました。案の定というかロンドン・キングスクロス駅では電車が遅延しており、ギリギリまで出発ホームが分からないという英国鉄道のターミナル駅のある意味「名物」も体験してもらいながら、なんとか無事に歌手の方をお連れすることができました。

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 7月上旬にはSainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)とUniversity of East Anglia (UEA)のCentre for Japanese Studies (CJS, 日本学センター)が開講しているサマーコース、‘Japan Orientation: An Introduction to the Study of Japan and Its Place in the World’の講義・演習‘Cultural Resource Studies in Japan’を担当しました。サマーコースにはチェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアの東ヨーロッパ諸国から16人の学部生から博士課程の学生が参加していました。講義の冒頭に日本に興味を持ったきっかけを学生たちに聞いてみたのですが、柔道・合気道などの格闘技やアニメのNARUTO、テレビゲームの鉄拳、ビジュアル系バンド、小説家の村上春樹など様々でしたが、複数の学生がポケモンと答えました。その後、位置情報を活用した拡張現実スマートフォン用ゲームのポケモンGOが社会現象になるとは、その時は思ってもみませんでした。

  • 2016年08月22日(月) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.8 吉田泰幸


How Soon is Now: According to the EU, ASAP

 フットボールのヨーロッパ国別対抗戦、Euro2016というビッグイベントの最中、ナショナリズムが良くも悪くも高揚している時にEU残留か離脱かを問う国民投票が行われる(6月23日)というのはタイミングが悪すぎないか、あるいは、投票用紙にRemain(残留)、Leave(離脱)、どちらが先に書いてあるかが重要、ということをSainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)のスタッフが話していたのは、まだどこか、なんだかんだで、国民投票では多分Remain(残留)が上回るだろうという楽観的な見とおしを持っていたからではないかと、今にして思います。私が普段接するような研究所のスタッフ、大学関係者、アカデミアの人たちはほぼ全員残留を望んでいましたが、国民投票の結果はおおよそ52%対48%で離脱が上回りました。

 普段、英国の数ある冗談のような事態に対して自虐的なユーモアを交えつつ語る私の周りの人たち(上記のように残留派の人たち)も、投票の結果が出た日は珍しくショックを受けているように見えました。新聞、報道機関のウェブサイトに掲載されたRemain(残留)・Leave(離脱)を色分けした地図やグラフによって、正式名称がUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)であるところの英国の中のそれぞれの「国」の間での分断、世代間の分断、特にイングランドでは都市部とそれ以外の分断、根強く残る階級間の分断を可視化されてしまったからかもしれません。それでも同じ週にEuro2016でイングランド代表が小国アイスランド相手に敗退してトーナメントから姿を消した時には、イングランドは週に2回ヨーロッパから出て行った、という英国らしいsarcasticな(皮肉な)物言いをあちこちで見かけました。

 ユーラシア大陸の反対側、極東アジアでは歴史的な経緯、現在の外交関係も相まってEUのような各国の主権を超えた共同体は考えられない状態ですが、考古学の世界ではSociety for East Asian Archaeology(SEAA)という国際的な研究コミュニティがあり、その第7回会議(SEAA7)が6月上旬にアメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンで行われました。4月にフロリダ州オーランドで開催されたSociety for American Archaeology(SAA)参加に続いてのアメリカ渡航となりました。オーランドのディズニーワールド内の会場となったホテルと宿泊したホテルとを往復する中での、ある意味アメリカらしい大味なジャンクフードのみの生活とは異なり、ボストンでは名物のロブスターやクラムチャウダー、チャイナタウンでの中華料理を楽しむことができました。

 SEAA7では‘Spatial Analysis of Jomon Ear Ornaments: Toward Diverse Interpretations’と題した研究発表を行いました。フェローの期間が始まってから、TAG(Theoretical Archaeology Group)2015 Bradfordでは古墳とPublic Historyの関係、SAAでは縄文と左右イデオロギーの関係、この2つの国際学会以外では大和日英基金でアーチストとのトーク、SISJACのサポータークラブ向けに縄文とアートの関係、University of East Anglia(UEA)のノリッチ市民向けのイベントでは‘Japan’=「漆」について話してきたこともあって、今回は久しぶりに「狭い意味での縄文考古学」な話をしました。SEAAの参加者は中国、韓国、日本の研究者および東アジアに強い関心を持つ北米とヨーロッパの研究者が中心なのですが、セッションのテーマとしてはやはり中国の人気が高く、日本はまだ知名度不足の印象も持ちました。SISJACのサイモン・ケイナーさんはSEAA7では自身の複数の研究発表に加えて世界遺産を目指す沖ノ島のアピール活動にも奔走していました。それには及びませんが、おそらくこれまで国際学会では触れられたことがない話題を提供したことにより、多少はSISJACの目指すところに貢献できたことを祈るばかりです。

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 今回のSEAA7は、前半はハーバード大学、後半はボストン大学で開催され、中日にはセーラムという港町にあるピボーティ美術館へのバスツアーが組み込まれていました。アメリカ美術だけでなく、ネイティブアメリカンの美術、SEAAが研究フィールドとする東アジア各国の多種多様な美術を楽しむことができました。しかしボストン滞在も終わりに近づいた時、2ヶ月前に訪れたオーランドで銃乱射事件が起こり、英国に帰ってきた後には冒頭の国民投票の結果と周りの反応を目の当たりにし、複雑な気分の6月でした。

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  • 2016年07月27日(水) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.7 吉田泰幸


The Draize Train: 近づく国民投票

 遅延は当たり前、ロンドンからノリッチに帰ろうとしたら突然の運休でロンドン市内の違う駅に行って欲しいとのアナウンス、ここからここまでの区間はバスに乗って欲しいとのアナウンス、ウェブ予約はなぜか普通の席よりファーストクラスの方が安い時もある、そのファーストクラスを予約していたら予約数が少ないとの理由で10両以上の電車のはずが急遽2両で駅にやってきて目の前を通り過ぎるので乗り遅れないように駅の端からダッシュ、コーチ(Coach、車両の事をイギリス英語でこのように言います)Kはここにとまりますという駅の表示の前で待っていたらコーチBが目の前にとまりよくよく聞くと通常とは逆の車両編成で駅にやってきたとのことで乗り遅れないように駅の端から端までダッシュ、という具合に現代英国の鉄道システムにおいてはイギリスの人たちも認めるように、冗談のような事態に遭遇することが多いです。逆に、日本の鉄道システムが几帳面すぎるくらいに独自に、そして高度に発達していることを思い知らされます。

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 しかし様々な近代システム発祥の地の面目躍如というべきか、1930年代の英国鉄道は黄金時代であったことが、イングランド北部の街、ヨークのNational Railway Museum(イギリス国立鉄道博物館)を訪れると分かります。広大なスペースに引退した鉄道車両の実物が多数展示されているのですが、1930年代に最速を記録したという蒸気機関車などは、おおよそ70年以上前に作られたとは思えないほどモダンなデザインで存在感を放っていました。英国の鉄道システムはあまりにも早くに整備されたために、今では線路やトンネルのメンテナンスが大変だそうです。そのメンテナンスのために、ロンドンからノリッチにいつもは直通で帰れるのにケンブリッジ乗り換えで遠回りしないと帰れない日もあります。ヨークの鉄道博物館には日本の初代新幹線も展示されており、車両の中に入ることもできました。線路の幅が広い規格に合わせた車両で、英国の鉄道車両よりもはるかにゆったりとしたスペースに感じました。

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 5月の初めにヨークを訪れたのは、Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures (SISJAC)と日本の奈良文化財研究所共催の「IN-PACE」という研究会に参加するためでした。スピーカーは日本人研究者とヨーロッパの研究者で構成され、ヨーロッパ各地のいわゆる「新石器時代」と言われる時代の研究成果も知ることができて、大変有意義でした。会の最後にはSISJACの所長が挨拶をし、英国がEU(欧州連合)にとどまるか離脱するかを問う国民投票が近づいていることにも言及しました。英国のアカデミアの中では英国はEUに残留すべきとの意見が大半らしいのですが、参加した投票権を持つ人たちに、改めて念押しする意味合いもあったようです。

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 昨年10月末に英国に来て以降、Britain(英国)とExit(出て行く)を掛け合わせたBrexitという、この問題を示す造語を新聞はじめニュース媒体で見かけることは多かったですが、正直渡英前はほとんど知らなかったですし、そもそもなぜBrexitに関する国民投票が行われることになったのかもいまいちピンときません。たまにそれをイギリス人に聞いても、「あれはサ○というawful(酷い)な新聞が原因のひとつ」と言い出したかと思うと、「デイリー○ラー、あれもawful」となってしまったり、「よくわからないがとにかく保守党はterrible(酷い)」など、話が新聞全般、政治全般の方向に飛んでしまったりで、今でもよく理解できていませんが、とにかく民主主義の壮大な実験とも思える、英国の行く先に大きな影響を与える(であろう)国民投票の日(6月23日)が近づいてきています。

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 ところでヨークでの研究会に参加する前には、ヨーク周辺の新石器時代の遺跡をめぐり、Thornborough(ソーンボロ)Hengesという土でできた環状構築物群を快晴の空の下、周囲の景観を楽しみつつ見学することができました。同行した新潟から訪英していた縄文研究者とも、「これは北日本の縄文後期の環状土籬のようだ」ということで意見の一致をみました。ヨークでの研究会前後はとても良い天気が続きましたが、その後は急に寒くなったり、また暖かくなったりを繰り返しながら春から夏を迎えようとしています。

  • 2016年06月20日(月) | 縄文を読む/考古学を読む::奨学生 | Edit | ▲PAGE TOP

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 NPO法人国際縄文学協会は、縄文土器・土偶・勾玉・貝塚など縄文時代/縄文人の文化を紹介し、研究促進を目的とする考古学団体です。セミナー/講演会、資料室、若手研究者の留学/奨学制度、遺跡の発掘現場の視察、機関誌の発行を行っています。

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