International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 『文字の理解』 土肥孝


文字の理解

 
文社会は文字の概念を持っていない。

文字とは2次元のものであり、それを概念化・図形化することは人類にとって高度な知識・技術といえる。それ故、文明は文字を持つことが必要条件となる。文字を持たなければ契約・コマーシャル(商行為)・徴税は存在しえない。少なくとも日本列島においては3世紀後半でその水準にまで至っていない。

 中国から渡来した鏡を模倣して製作された鏡は反転文字が見られる。つまり鏡の外帯に記された文字を理解出来ず、文字を図像と見ていた。また、「仏獣鏡」という鏡が存在するが、日本列島には仏教公伝以前に仏の姿は存在していた。この図像を当時の人々は仏として見ていたのではなく、「図像」として理解していた。

 したがって、大陸でB・C1800年頃に出現した「文字の概念」を、日本列島地域は2000年以上後まで、ついぞ理解出来なかった。この2000年以上という時間はキリスト誕生から現在までの経過時間と同一である。

 これは社会発達史上、額面通りに受け取れば、「遅れていた」ことになる。「文明」という概念を導入して当時の社会を通観しても、それは妥当な見解である。

「文字の導入」の遅れを悲観的に見るのではなく、これを楽観的・肯定的に見たとしたらどうなるのか・・・・・。

 縄文弥生時代は、2次元上に別の概念を表現することはしなかった。しかし、縄文式土器(中期)を見れば、見事に胴部に「踊りの一瞬」<写真1>や「踊りの風景」<写真2>を描出している。


(写真1)
(写真2)
 したがって「縄文時代に絵画が描けなかった」という見解は明らかに誤りである。「平面に図像を描く能力はもっていた。しかし文字の概念を受容することはなかった」ということが真相なのだろう。縄文時代は2次元表現として、「新しき概念」として文字を採用しなかったが、その半面で立体的な造形に長ける。それは縄文時代の代表的精神遺物である「土偶」を見れば一目瞭然である。

 土偶は同時代世界各地の人物表現を通観しても世界最高水準の作品であった。これは立体的造形表現に長けていた証拠である。

つまり、3次元で見えるものは2次元に写すことはできるが、文字は受け容れなかった。それは目に見えない、あるいは当時の知識を駆使しても理解出来ない現象をただちに崇め奉ってしまう縄文時代の行動様式とイコールになる。だから後世の「八百万の神」なのである。諺にもあるように、「さわらぬ神に祟りなし」として流してしまう。つまり、知識・理解を超えた「超常現象」を崇め奉るが、くよくよ考えないのである。しかし、多くの共感を得た事象は「伝説」・「神話」となり、人々の心の中に引き継がれる。それが「日本列島地域内で生き抜く知恵」であった。

縄文時代は2次元の図像も3次元の立体物も言葉で伝えることはしなかった。「見て、自分が理解すればいいの」である。

したがってオリジンである人間が首と胴を切られ、表・裏面を同一面に描こうと<写真3>、頭部の周囲を腕が巡るような図像<写真4>を表現しようと一向に構わない。それが縄文時代の人々の「見たまま」なのだから。

(写真3)
(写真4)

※写真:『日本の美術10 No.497縄文土器中期 土肥孝(至文堂)』より

しかし、それらは現代の美術視点では「シュルレアリスム」と呼ばれてしまう。縄文時代の図像表現は、3500年以上後に起こったシュルレアリスムを獲得していたのである。これは縄文時代に限ったことではない、世界各地に点在する「無文字社会」にしばしば見られる現象である。

土肥 孝(東洋大学大学院講師)

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