International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 第6回国際縄文学協会奨学生 レポート Vol.1 吉田泰幸


Born under Punches: 2ミニッツ・サイレンスとフリントシティ・ノリッチ

 サマータイムが終わった直後の10月26日、ロンドンシティ空港に降り立ってセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures, SISJAC)があるノリッチ(Norwich)に向かいました。

 ノリッチに到着後、印象的だったのは道行く人々の少なからぬ人々が、左胸に赤い花を形どったバッジをつけていることでした。これはポピーの花を形どったもので11月11日の第一次世界大戦終戦記念日に向けて、戦没者追悼の意を表すものだと、研究所のスタッフの方が教えてくれました。テレビを見ると、コメンテーターの人々も軒並みレッドポピーが左胸に、フットボール選手達のユニフォームにもこの時期だけはレッドポピーがあしらわれるようです。研究所で机を並べる考古学者がレッドポピーにまつわる話を教えてくれました。もともと大戦時の戦没者追悼のためだったが、今は英国が関わるあらゆる戦争に関わる追悼の意味に拡大していった、そのためレッドポピー自体、論争の的だ、ということです。北アイルランド出身のフットボール選手が、自分のユニフォームにはレッドポピーを付けずに試合に臨んだエピソードも教えてくれました。

 11月11日の午前11時、ノリッチでの住居を定めるためフラット(イギリス英語で言うところのアパート)探しの途中、カフェで一休みしていると、店員が2分間の黙祷に協力を、と声をあげ、2ミニッツ・サイレンスが行われました。その間、店員が調理用にセットしたタイマーが鳴り出してしまうというアクシデントがありましたが。11日以前には、各種ニュースにおいて、筋金入りのマルキストとして知られる現・労働党党首のジェレミー・コービンが戦没者追悼式でお辞儀をしたかしないかで軽い盛り上がりを見せていましたが、そうしたことが些細に思える事件がその週末に起きてしまいました。パリでテロ攻撃が起こってしまったのです。そのため、週明けにはノリッチ市内各所でも、予定外の2ミニッツ・サイレンスが行われることになりました。

 渡英してすぐの話題がドーバー海峡を挟んで、過去・現在の理不尽な暴力から生じた(Born under Punches)2ミニッツ・サイレンスの話題になってしましたが、英国での活動の拠点となるSISJACがあるノリッチは、暴力的な意味でないBorn under Punchesな街です。打ち欠いた、あるいはその後綺麗に形を整えたフリントの石があちこちに使われています。今はところどころに残っている市中心部を取り囲んでいた壁、住宅の壁面、住宅を取り巻く壁、ノリッチに沢山ある教会の壁面、道路の敷石に至るまで、そこかしこにフリントを見つけることができます。フリントは先史時代から石器の材料として多用された石です。日本で同じような、古くから石器に使われた石のひとつに黒曜石がありますが、フリントは黒曜石ほど割れ口が鋭くない、かといって地方名・讃岐に由来するサヌカイトとも似ていない、強いて言えば岐阜県下呂地方で取れる下呂石に少し似ているかな、と思える石です。

 フリントの一大産地はノリッチから電車で20分ほど行ったところにあるセットフォード(Thetford)にあり、11月20日に特別展「Flint Rocks!」のオープニングイベントがあるとのことで、SISJACのサイモン・ケイナーさんに誘われ参加しました。イベントは子供達が主役で、開会を告げる掛け声や展示解説を子供達が担っていました。展示室には長野県長和町から出土した黒曜石の石器も展示されていました。長野県長和町はセットフォードと同様に先史時代に遡る採石遺跡がある縁で友好関係にあることから実現したものです。イベントの主役の子供たちも長和町や東京、京都を訪れたことがあり、話をするとその時の印象を語ってくれました。

 セットフォード訪問の翌日、居候していたSISJACから契約にこぎつけたフラットに引っ越しました。フリントの壁を持つ建物も含めてフラット探しをしたものの、結局フリント建物に住むことはかないませんでしたが、ようやく落ち着くことができました。

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