International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 縄文インタビュー 戸村正己 1


戸村 正己(フィールド考古 足あと同人)
インタビュアー:土肥 孝(国際縄文学協会 理事)

創作空間「縄文の丘」を訪ねる vol.1


ファイル 128-1.jpg

 土器の製作復元を数多く行っている戸村正己さん。 製作の現場である創作空間『縄文の丘』(千葉県)を訪ね、お話を伺いました。

土肥:縄文に興味を持ち始めたのはいつですか?

戸村:小学校4年生の頃です。近所に高谷川泥炭遺跡があり、その川の堤防で偶然に土器の破片を手にしたのがきっかけです。破片の元々の形はどんなものだろうと興味を持ちました。縄目や引かれた線の感触は、無機質な物という感じがしませんでした。縄文時代は文字がない時代でしたが、文様は文字に匹敵する記録、つまり肉筆の記録という風に思いました。

土肥:戸村さんに初めて私がお会いしたのは、数十年前の遺跡発掘現場でした。

戸村:そうですね。土器製作を新井司郎先生から学び、その後ちょこちょこ作っていたものを、先生がいらっしゃっていた発掘現場にお持ちしたのが土肥先生との最初の出会いでした。お見せしたところ、皆さん本物だとおっしゃる中、土肥先生だけはちょっと待てよと、首を傾げられたので、それは良かったと思います。私の中では、騙そうという意識は全くなく、「見ていただければ有難い」という気持ちでしたから。その後、他人が評価するしないかよりも、ただ忠実に真面目に自分の使命として土器製作をやってきました。ありのままの縄文文化を発信していかなければならないという心が大切であり、変に誇張した方向に持って行くべきではないと思っています。

土肥:いろんな方々に見てもらうことが大事ですね。

戸村:そうです。土器は生活道具の一つですから、ただ単に陳列ケースの中にあるというのではなく、より身近に五感で感じてもうらことが大事かと考えます。

 以前、作品展を開いた時、見学に来られた小学生に、私の作品を実際に持ってもらう機会を設けました。仮に、誤って落とされてしまう危険性もありましたが、私の作品であるからこそ、リスクを度外視して触ってもいいようにしたわけです。そして、子供から「見た目に重いと思っていたものが、意外にも軽いんだ」という感想をいただきました。実際、縄文の後期・晩期の土器は大きいけれども薄いのです。その子が「えっ?」ととても驚いていたのが印象的でした。

ファイル 128-2.jpg
※戸村正己さん(写真:右)、土肥 孝理事(写真:左)

土肥:本物の土器・土偶に触れることの出来る機会があればと思いますが。

戸村:出土品と同等の質量のものを復元して、それを触ったり持ったりするのは良いのですが、ただ出土品の場合は唯一無二のもので劣化が進んでしまう訳ですから、出土品に触れるというのは如何なものでしょうか?

土肥:作品を製作するうえで、一番気を付けていることは何ですか。

戸村:私は、あくまで出土品を忠実に再現する事を心掛けています。そこから逸脱してはいけないと思っています。文様で、これは工具使いではなく直接手描きをしていると見られれば、どんなに緻密であろうと追及していきます。

 以前、土肥先生や小林達雄先生から、作品が今後本物との区別がつかなくなる可能性が出てくるので、「自分のサインを入れておいた方が良いよ」と言われました。「風化してしまうと分からなくなるから」と有難いお言葉をいただきました。まだまだ追及し足らない課題は山ほどありますが、少なからず、「出土品により近づきたい」という思いで製作しています。子供時代に土器を拾い感じた、割れた土器の元々の姿はどういうものだったのだろうという好奇心は、ずっと心の中で長年持ち続けた夢の追及だったわけです。これから機会を得て、私なりに掴んだ成果を公表することが、使命だと思っています。

土肥:縄文の土器を製作するうえで、本来の形を変えてしまう人もいます。芸術としてはいいですが、それは考古ではないと思いますが、いかがでしょう。

戸村:この部分は残っているからゆえに、ここはこうであろうという客観的事実に基づいて製作すべきです。作り手の身勝手な解釈、発想で、奇抜な展開になるのは間違いだと考えます。言葉は悪いですが、それでは粘土遊びの延長でしかありません。私の製作の姿勢としては、粘土による実測図作成のつもりで、立体的な再現を心掛けています。そのような物が目の前にあれば、当時の様子を想定し、それぞれの感性で捉えて、実際に持って使ってみることができる。さきほど土肥先生が、ここを持つの?とおっしゃっていましたが、それはもうご自由で良いと思います。定義はありません。土肥先生の持たれた形を見て、そういう持ち方もあるのかと思いましたから。それも有りだと思います。大事そうに持たれる方もいるし、片手で持つ方もいます。

実際の出土品を使うのは無理な訳ですが、同じ質量のものを作って使うことが出来れば、色んな持ち方をしたり、色々使い方を想定したり、発想のバリエーションが広がるわけですよね。それを提供できる役割を果たせればと思っています。

ファイル 128-3.jpg

土肥:土器の土は、何を使用していますか?

戸村:私の場合、いわゆる常総粘土と言われる火山灰土の自然生成の粘土を使っています。地面の下にある粘土を採取しているので、どこかで買い寄せたものを使うということはありません。採取した粘土に混合物をブレンドして使っています。

土肥:石なども混ぜますか?

戸村:基本は砂で十分です。混合物の混ぜ方など、最近色々なことがわかってきました。いかに割れないものを作るかが少しずつ見えてきました。粘土だけでは収縮率が高く割れてしまうので、混合物を混ぜ込まなければなりません。ただし混ぜ過ぎると、粘土質が損なわれ、漏れ易くなります。割れないために混ぜる事が、反面漏れを起こさせる原因になる訳だから、正に“痛し痒し”の関係です。結局どちらの利点を優先させるのかということから言えば、粘土の性質を見極めた上での混ぜ方の工夫が大事だと思います。

次へ >
 

▲ PAGE TOP