International Jomon Cultuer Conferrence|縄文土器/土偶/貝塚/勾玉など縄文時代/縄文人の文化を探求する考古学団体 (▼△▼)/

■ 縄文対談  津川雅彦氏(俳優) × 小林達雄先生(考古学者)1


対談『縄文と向き合う』


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    平成24年7月24日 NPO法人国際縄文学協会図書資料室にて公開対談
    

小林達夫先生(以下、小林)

津川さんとたまたまきっかけがあり、お知り合いになることができました。津川さんは大変勉強家です。縄文だけではなく、つい最近は『葉隠』の話など、真剣に勉強されています。

そして津川さんの周りには俳優仲間が大勢いらして(津川さんが)ひと声かけるだけで、40人くらいが集まり、会を津川さんは主宰されています。それは飲み会ではなく、勉強会です。

僕はその両方に顔をだせますが、爽やかに津川さんとその仲間の方々と縄文について語ったことは、私にとっては財産です。津川さんは本当にお忙しい方で、現在は銀座にありますテアトル銀座で『男の花道』(2012年7月12~26日)の演出をされていて、これに招待いただいて、私も舞台を堪能させていただいたのですが、感動して図らずとも涙を流してしまいました。舞台は明後日まで続くというお忙しいところ引っ張り出させていただきました。今日はあまり時間がないので早速始めたいと思います。

津川さんは縄文に対して並々ならぬ関心をお持ちなのです。私が津川さんのお話の端々から理解したところ、縄文に対してすごくいい勘所をお持ちです。津川さんの縄文との出会いやどんなところに関心をお持ちなのかなどを伺ってまいりたいと思います。

津川雅彦氏(以下、津川)

僕は縄文に関して全くの素人ですが、一昨年の暮れ頃から、どうも日本のことを知らなすぎるなと猛反省していた時、ふっと手に取ったのが梅原猛先生の『日本の深層』というご本でした、これに縄文土器は世界最古であると書かれていました。「日本の誇り」というものを相当傷つけられて育った我々世代は「世界最古」などと聞くと、気持ちがグーッと高ぶるんですね。しかし縄文土器が世界最古だと云うのなら、なぜそんなにすごいことを世の中の人達が全く知らないのでしょうか?結論的には関係者の「日本なんてそんなにすごい国の筈がない」と云う自虐史観のなせる罪だと確信するに至りましたが、まずは、考古学の先生を探しているうちに運よく小林達雄先生の著書にぶち当たったわけです。役者の都合がいいところは「津川雅彦」といえば、どこの何者かすぐにわかって頂け、信用してもらえることです。厚かましくも小林先生と直接お目にかかる機会を得まして、それで僕が役者や映画、テレビ制作者仲間を集めて主催している勉強会に来ていただき、詳しくお話を聞かせて頂きたいとお願いすることができました。失礼ながら先生は、落語家のように話がお上手で(笑)。本当に考古学者かな?と思ってしまう程でね(笑)。とても楽しませてもらいました。お話では、やはり縄文人が土器は勿論のこと、漆器、釣り針やモリ、漆喰などを世界で最初に発明しているのだと知ることができました。これはノーベル賞を貰ったC14炭素法で科学的に証明されているとのこと。縄文人はそういった頭脳の素晴らしさだけではなくて、1万年の平和を築いていたのだとも聞き驚愕致しました。1万年もの長い間、平和を保ち戦争をしなかったということは、縄文人にはそれだけの上質な人間性があったのだと思えます。何より人間には欲がありますので、我欲と我欲のぶつかり合いを抑制しないことには1万年の平和継続は困難だった筈です。彼らは自分さえよければ良いという利己欲を自ら律し得たんだと思うんですね。なぜ我欲を抑制することができたのでしょう?それはアニミズムである精霊崇拝の信仰に関係しているのではないかと推察しました。大自然を神と崇め、生命あるものすべてに神が宿ると信じる八百万の神の信仰ですね。そうすると神は自分の心にも相手の心にも宿る訳ですから、何事をするにも自分の心の神、つまり良心と対話をし、かつ仲間の心を思いやって決めることになる訳です。こうして自分の利己欲を「我慢」し、我儘を「忍耐」し、仲間の生命と大自然を守る「礼節」を大切にする。そういう1万年の平和を経験している間に養ったその「我慢」「忍耐」「礼節」は縄文人のDNAとなり、後世に受け継がれていったのではないでしょうか。東日本大震災の3・11の日、被災者たちが津波から逃れたその夜に残り少ない食料をわけあって一晩を過ごした!!その「我慢」。更に救援物資にはきちんと列を作り配給を受けた!!その「忍耐」。避難所では当番制にしてお手洗いまで清潔にしていた!!その「礼節」。世界中の人々がこのことを知り感激した訳です。東北の被災者は、まさしく縄文人が1万年の平和を築いたDNAそのものを実践したんですね。西洋文明に育った便利主義、個人主義、効率主義の中には「我慢」や「忍耐」、人を思いやる「礼節」は育ちにくい。その良い例が、東京で、原発事故の放射線被害で赤ちゃんに飲ませるのに必要なペットボトルを全部大人達が買い占めました。我欲にまみれた都会にはそういった「思いやり」は微塵もなくなっています。

今僕が知りたいのは1万年の平和の考古学的証拠です。ある本によると、500体の縄文人の人骨を調べたら、争いで亡くなったと思われる人骨がわずか15体。500:15と云うのは明らかに個人的な争いの範疇です。ところが弥生時代になるとこの比率が500:150になる。つまり集団同志の争いが起こっているということが骨からも推察できます。三内丸山に関するお話の中にも、彼等の叡智を裏付けるような話があります。1千年以上にわたり祈りの場を造り続けていることです。と云うことは、最初から完成を目指して造り始めているのではないことがわかります。造る目的が「未完成」にあったと云うのは、「永遠に造り続ける」ことをテーマにした素晴らしい建築哲学です。それは出雲大社の60年ごとの大遷宮や伊勢神宮の20年ごとの遷宮システムにもつながり、更に現代スペインのガウディの教会にもつながる建築哲学の根本となる思想です。

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